yakataの情報奮闘記

プログラミングの話をします

引っ越しをしました 〜情報の非対称のお話〜

自由じゃなくてかつ自分が自由でいられていると感じている時が一番幸せなんだろうとそう思う。人間の頭で理解できるくらいの不自由さが一番自由なんだろうと。

引っ越しました。嘘です。引っ越します。未来系です。
いわゆるベットタウンに住んでいる私は大学が3年もたった今ようやく家を出ます。再来年にはカリキュラム上必要に迫られることは理解していたので、少し早めた形ですね。


失うものは今見ている車窓の景色と空気感。失ってからそのありがたさがわかるといいますが、そのような感傷に耽っていても思い出されないものもあるのだろうと思います。自分もこのような日記まがいの文章を書いていなかったら、この風景に意識を向けることはなかったでしょう。メリットとデメリットは実際始まってみないと分かりませんが、変わるというのはそれだけ価値があることです。老いるということです。


引っ越しにおいても情報化はすすんでいて、見きれないほどの情報量が提示されます。そして、この家にしよう!と決めた後でも家で検索するとこっちの方がよくないか?となることがしばしば。
つまりは自分の時間や労力と諦めを天秤にかける必要があるということです。
これは数十万数百万円動かす時であっても自分の命がかかっているときでもです。うすら怖ささえ感じますね。
医師を信用できなければ治療はできず、弁護人を信用できなければ十分な弁護はできない。そこと比較すると不動産会社とのやりとりはまだ易しい方でしょうか。
信用というのは1時間くらいに圧縮して提供してもらった、本来なら数年かかる知識を信じるということです。中身がどうなっているのかわからないが、それっぽい説明といくつかの提示された選択肢の中から選ぶということです。今回お客さん側として参加したわけですが、限られた、しかし、一般人には十分すぎる選択肢から選ぶという行為はネットで無限の物件から探していた時に比べて圧倒的に快適な時間でした。
これを快適だと思ったことはすごく意外。けれど、考えるということは案外体力を使うということが体感できた時間でもあった。

 

目には見えないけれどね。